迫害された苦しみ

SNSのクリスチャン界で冤罪からの迫害に遭い、PTSD・トラウマ状態で2年間苦しみました。「再体験」が激しいので、デトックスとして書きました。

あの記事を書いてから(一年)

2年前に起こった事件について書いてから、もう一年が経ったんですね。
わたしはあの記事を書いて、不謹慎ながら本当に良かったです。
フラッシュバック、動悸、夜も眠れないほどの憎しみと怒り。あの記事を書いて公開してから、そういったものの頻度が格段に減りました。
まだね、聖書を読んでると苦しかったり(聖句がいちばん苦しいんですよ)、するんですけど、日夜そのことばかり考えてみたいのはなくなりました。

 

------------------------------------------------------------------------ 
2018年1月だけで、文字数にして5000字は書いたんじゃないかと^^;書きたくて書きたくて、もう色んな場所に書き散らしました。だから「書くこと」はお腹いっぱいで、この文章はたらたらになっちゃうんですが。

 

ただ、あの事件について書いてね、やっぱり、嫌われたなあと。

 

「恵まれたクリスチャン」っていうのが、反感を買ったかなと。
「皆色々あるんだ、自分だけが貧しいと思って、周りを見下して」って思った人、いたと思います。

 

それは分かってて、あの文章を書きました。それを分かってて、あの時は、「境遇に恵まれてるが故に鈍感なクリスチャン」に対する憎しみが勝っていたんですね。

いまはどうでしょう...。よく分からない。もう、戦おうとは思わない。

 

生まれつきの境遇が違ったり、それ故に相手への想像力が書けたり、普通にあることだし、わたしだって、人の苦しみが分かんない人だと思います。

 

価値観が違ったり、分かり合えなかったり、そういうのはもう、距離を置けばいいんじゃないかな。

 

「教会で裏表をつくるの疲れるからそういうのやらない」みたいなツイートを拝見したことあるけど、わたしは信頼してない人に裏を見せるほうがよっぽど疲れる。

 

心を許せる人に会えるまで、そうやって距離を置いて、教会と付き合っていけばいいと思います。

 

あの記事を書いたせいか?お別れした人がいました。こんなんだから、クリスチャンには相変わらず避けられます。当たり前ですね。